アイルランドのコネマラ地方最大の観光スポット「カイルモア修道院」

カイルモア修道院

コネマラ地方に来たら、絶対に行っておきたい場所がありました。

その場所とは「カイルモア修道院」

コネマラ地方で一番人気の観光スポットではないでしょうか。

 

 

 

カイルモア修道院への行き方

カイルモア修道院の近くには「コネマラ国立公園」という自然公園があり、行き方はほぼ同じです。

 

※カイルモア修道院、そしてコネマラ国立公園への行き方は 頂上から見下ろすコネマラの景色は爽快「コネマラ国立公園」を観光 で詳しく書きました。

コネマラ国立公園

頂上から見下ろすコネマラの景色は爽快「コネマラ国立公園」を観光

2017年9月30日

 

 

僕の場合はクリフデンという町で宿を取っていたので、その町で自転車をレンタルし、1時間ほどかけてカイルモア修道院まで向かいました。

 

時間や体力に余裕がある方にはぜひ自転車で行ってもらいたい!!

コネマラの大自然の中を自転車で走るのはめちゃめちゃ気持ちいいですし、なにより景色がキレイです。

 

もう1つの方法としてはバスツアーです↓

ゴールウェイを出発し、カイルモア修道院を含むコネマラ地方の観光スポットをほぼ1日かけて回るツアー。

カイルモア修道院の入場料は含まれていないですが、バス運転手によるガイド付きで料金大人1人30ユーロ、かなりお得です。

バスの本数が少ないコネマラ地方の観光スポットを回るのは大変なので、自分専用のバスがちゃんとあるのはとても助かります。

 

カイルモア修道院に到着

カイルモア修道院

めっちゃロマンチックやん…

青い空に緑の山々、目の前の大きな湖に映るカイルモア修道院の姿。ブラボーッ!!

こんな条件の場所、なに建てたって絶対ブラボーですよ。

本当に美しい光景です。

 

チケットはネットで購入、小銭をケチろう

実は上の写真を撮った場所はまだ入場料のかからない場所で、これより先に行くとゲートがあり、そこから料金が発生します。

もちろん現地でチケット(大人1人13ユーロ)は購入出来ますが、事前にネットで購入した方が小銭程度ですが安くなります。

●チケット購入 
https://www.kylemoreabbey.com/

 

修道院の近くへ

カイルモア修道院

近くに寄るとなかなか全体を撮れません、やっぱり大きいですね。

ただ、僕が行った時は残念ながら一部修復中で、ごっつい足場が組まれている箇所がありました(なので写真に写らないように頑張りました笑)

 

中の様子

カイルモア修道院の中

実はこの修道院、もともとはロンドン出身の富豪「ミッシェル・ヘンリー」が、彼の妻「マーガレット・ボーン」のために建てた城(家)なんです。

そのため、城は彼らの住居としてしばらくの間使用されていましたが、彼らはある理由で城を手放すことにしました。

その「ある理由」についてはこの記事の後半に書いています。

その後城の所有権は様々な人間に渡って行き、最終的にはベルギーのベネディクト派の修道院が1920年にこの城を買い取り、1つの家族の家から始まったこの城は「カイルモア修道院」という名の全寮制の女子校に姿を変えました。

カイルモア修道院の授業風景

生徒の大半はゴールウェイやその周辺の群からでしたが、ヨーロッパ諸国からの留学生も多くいました。他にもインド、メキシコ、アメリカ、そして日本からの留学生もいたそうです(たぶんお嬢様ですね)

しかし、そんな長い歴史を持つ修道院も時代の変化と共に生徒数が減少、2010年には閉鎖してしまいましたが、建物自体は引き続きシスター達によって維持、管理されています。

現在一般公開されている一部の部屋には、修道院前の豪邸っぷりを思わせる装飾品や家具がたくさん置かれています。

カイルモア修道院の中

その他にも、城の歴代所有者達の様々な資料が展示されていましたが、やっぱり一番スポットライトが当てられているのは、最初の城の所有者である「ミッシェル・ヘンリー」「マーガレット・ボーン」です。

 

ミッシェル・ヘンリーとマーガレット・ボーンについて

マーガレット・ボーンの肖像画

マーガレット・ボーンの肖像画(とてもキレイな方ですね)

マーガレット・ボーンは当時(1852年)、ハネムーンで訪れていたコネマラ地方の景色をとても気に入り、その思いを知った夫のミッシェル・ヘンリーは愛する妻のため、この場所に自分たちの家を建てることに決めました。

地元の労働者100人以上が建設に関わり、約4年の歳月を掛け、1868年にこの豪邸は完成しました。

当時、ジャガイモ飢饉で苦しんでいた地元民にとって、この仕事はとても貴重で、ありがたいものでした。

 

※1845~1849年の間にアイルランドを襲ったジャガイモの疫病による食糧難「ジャガイモ飢饉」については アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~ で詳しく書きました。

昔のニューヨーク

アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~

2019年3月23日

 

 

彼らはたくさんの子供にも恵まれ、この場所で幸せに暮らしていましたが、その幸せは長くは続きませんでした。

1874年、ヘンリー一家はカイルモアを出発し、エジプトで豪華な休日を過ごしていました。しかし、その旅行中にマーガレットが病気(赤痢)に襲われ、2週間の苦しみのあと、彼女はこの世を去りました。

マーガレット・ボーン45歳、最年少の娘、わずか2歳の時でした。

 

ヘンリー一家の霊廟(れいびょう)

ヘンリー一家の霊廟

カイルモア修道院がある敷地内には、様々な建物、エリアがあり、すべての場所を回ろうとすると、2~3時間はかかると思います。

上の写真は、修道院から歩いて3分ぐらいの場所にある霊廟(れいびょう)

霊廟とは…

日本でいう「仏壇」のようなもので、お墓とは違い、ここに遺骨が埋葬されているわけではないですが、祖先の魂や霊などを祭っている場所になるので、この場所で故人を供養したり、お参りしたり、慰霊や祭事を執り行う場所として使われます(ちょっと難しいですね)

ヘンリー一家の霊廟

この霊廟を過ぎさらに進むと、小さな教会と墓地が現れます。

 

ヘンリーが亡き妻の為だけに建てた教会

亡き妻のために建てたゴシック様式の教会

ゴシック様式の小さな教会

もともと、ゴシック様式の教会は夫婦の故郷イギリスの崇拝の場で、ヘンリーにとってこの教会はマーガレットに対する彼の愛の証です。

この小さな教会のすぐ横には彼らのお墓があります。

ヘンリー一家のお墓

1870年頃にはゴールウェイ群でたくさんの土地を所有していたミッシェル・ヘンリーでしたが、20世紀になる頃にはその財産の大半を失い、1903年にはこの城をマンチェスター公爵夫婦に売却しました。

彼はカイルモアを去りイギリスで生活していましたが、城の売却から7年後の1910年にミッシェル・ヘンリーは亡くなりました。

その後、彼の遺骨はカイルモアに戻り、現在は最愛の妻マーガレットと共にこの墓に眠っています。

ミッシェル・ヘンリーはもともと外科医で、その後政治家に転向しました。当時アイルランドの飢饉で苦しんでいた地元住民のため、仕事、避難所、労働者の子供たちに学校を提供するための改善策など、アイルランドが抱えていた多くの問題の解決に取り組んでいました。

 

 

ビクトリアン・ウォールド・ガーデン

The Victorian Walled Garden

こちらはカイルモア修道院から歩いて15分の場所にあるとても広い庭園。

1800年代後半には40人もの労働者がここで庭師として働いていていました。

アイルランド全土が貧困に陥る中、一般よりもはるかに良い賃金と条件があるこの場所で働けるということは、当時の労働者にとって人生を大きく変えることが出来るチャンスでした。

しかし、そんな時代も徐々に終わりを迎え、修道院が城を買い取る頃には庭はすっかり荒れ果てていました。

そんな中、修道女たちは1995年にこの庭の修復を開始し、2000年には一般公開されるまでに至りました。

The Victorian Walled Garden

庭園内では当時使用されていた庭師の家も見ることが出来ます。

庭師の家

※修道院からこの庭園の間は無料のシャトルバスが運行しています。

●場所 カイルモア修道院

 

最後に

ちょっと長くなってしまいましたが、僕が実際にカイルモア修道院に行って、知った情報を出来る限り詰め込んでみました。

カイルモア修道院は見た目も華やかで、観光スポットとしてとても目立つ存在、それと比べて小さな教会や霊廟、お墓などは見た目からして地味な存在です。

ただ、それがつくられた経緯、つくった人の思いなどを少しでも知っていれば、見え方はずいぶん変わるはず。

これからも見た目だけで判断するんではなく、中身もしっかり見ていこうと思います。

 

最後までありがとうございます。

それでは、また!!

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ABOUTこの記事をかいた人

高校を卒業してから、そのまま就職。12年間働いていたが、そんな自分の人生に疑問を覚え、30歳前にして何の計画もないまま会社を辞め、海外に行くことを決意。理想の人生を強烈にもがきながらも追い求めています。そんな僕が、このブログを通して海外の魅力、文化、役に立つ情報など発信したいと思います。