ドネゴールのおすすめ観光スポット5選と僕が泊まったおすすめホステル

ドネゴールのパブ

今回僕が訪れた場所は、アイルランドで一番北に位置するドネゴール州の中の比較的大きな町、その名もドネゴール(またはド二ゴール)。

この町から車で20分ほど東に走れば、そこはもう北アイルランド(イギリス領)です。

1度このブログでも紹介しましたが、アイルランド有名歌手エンヤはこの州の出身で、ドネゴールの町から少し離れますが、エンヤの故郷グウィドーは、今でもアイルランド語(ゲール語)が話されている数少ない地域になっています(若い世代は英語で話すようですが…)

 

※アイルランドの音楽、アイルランド出身の歌手については アイルランドの音楽について、僕なりに語ってみたいと思います。 で詳しく書きました。

ザ・ビートルズ

アイルランドの音楽について、僕なりに語ってみたいと思います。

2017年10月23日

 

 

またドネゴール(Donegal)はアイルランド語(ゲール語)で「外国人の砦」という意味があり、ここで言う「外国人」とはヴァイキングの事を指しています。

その名の通り、この町は1159年にヴァイキングの手によって1度破壊されているんです。

町にはかつてヴァイキングが砦として使用していた敷地があり、その場所に建てられた城はドネゴールの観光スポットとして重要な役割を果たしています。

ということで、これからドネゴールの観光スポットについて書いていこうと思いますが、今回はいつもの1人観光ではなく2人での観光になり、個人的には誰かと話しながら観光できる楽しさも感じられた日になりました。

 

※たまたま知り合ったスイス人の女の子と初めて2人でヒッチハイクしたときのお話しは アイルランドの旅始まって以来初の2人でヒッチハイク で詳しく書きました。

ヒッチハイクの風景

アイルランドの旅始まって以来初の2人でヒッチハイク

2017年11月5日

 

 

 

ドネゴール城

ドネゴールにある城

冒頭で紹介した「ヴァイキングが砦として使用していた敷地」に建てられたのが上の写真のドネゴール城で、1474年にこの地域を治めていたオドンネル家によって建てられました。

ヴァイキングがこの場所に砦を構えていたのは、西暦800~1000年頃と言われています。

1601年までオドンネル家代々に受け継がれてきたこの城でしたが、後に起きた戦争の末、城はイギリス軍の首長ブルックス家の手に渡り、ここからはブルックス一族代々に引き継がれていきました。

最終的には、最後の城のオーナーであるアイルランドのアラン伯爵が公共事業庁に城を寄付し現在に至ります。

ドネゴール城の中

城の中にはたくさんの資料や模型が展示されています。

入場時には日本語のセルフガイドを借りられるので、各場所の用途や城に関する歴史などもよく理解することが出来ます。

僕が行った日はなぜか無料で入ることができましたが、普段はたしか大人1人4、5ユーロかかったはずです。

 

ドネゴール修道院

ドネゴール修道院

町の中心地から10分ほど歩いたドネゴール湾のほとりにある修道院の廃墟です。この修道院は1474年に建てられ、宗教と学習の重要な場所として約130年間に渡り使用されていました。

ドネゴール修道院

現在はご覧の通り所々に建物の痕跡が残るのみ、その理由はやはりイギリスによる侵略が原因で、ドネゴール城がイギリスの手に渡った1601年、こちらの修道院は使う用途がなかったからでしょうか?残されることなく破壊されました。

写真にも写っていますが、この敷地は墓地としても使用されていて、僕が訪れて時にもお墓には真新しい花がいくつも供えられていました。

 

※イギリスによるアイルランド侵略については アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~ で詳しく書きました。

昔のニューヨーク

アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~

2019年3月23日

 

 

飢饉の墓地(Famine Graveyard)

ドネゴールにあるお墓

こちらも町の中心地から歩いて10分ほどの場所にある飢饉の墓地です。墓地には飢饉の犠牲者(1845~1849年)が埋葬されています。

飢饉時代、ドネゴールの人口は約3万人ほどいて、その人口の3分の2以上が農業に関わっていました。

その結果、1840年代の飢饉はドネゴールの人々に壊滅的な影響を与えました。

このブログでは何度か「飢饉」「ジャガイモ飢饉」という言葉を使ってきましたが、ちゃんとした説明が無かったな…と思ったので、この機会に簡単にですが書きたいと思います。

ジャガイモ飢饉

ジャガイモ飢饉とは1845~1849年の間に、アイルランドを襲ったジャガイモの疫病による食糧難です。

ジャガイモ飢饉の時代、アイルランドはイギリスの植民地だったため経済は発展することなく、国民のほとんどが農業を営んでいました。

農民はイギリスに輸出するための作物と、地主(ほとんどはスコットランド人やイギリス人)に支払う土地代に追われながらも、自分たちの食料を確保するため、栽培が容易で生産性の高いジャガイモを栽培していました。

そして、農民が完全にジャガイモに依存する生活を送っていた時に起きたのがジャガイモの疫病です。

それにより、みるみる食糧難に陥るアイルランドでしたが、イギリスはそれでもアイルランドからの食料輸出を止めませんでした。

その結果、「餓死者が出ているにも関わらず食料がアイルランドから輸出される」という状態が数年続き、アイルランドの総人口は餓死、病死、国民の国外脱出を含め、最も多かった飢饉前の800万人から半分の400万人にまで落ち込みました。

ジャガイモ飢饉の記念碑

 

 

飢饉の鍋(Famine Pot)

ドネゴールにある記念碑

この大きな鍋は上記で紹介した飢饉の墓地の敷地内にあり、飢饉時代多くの国民の飢餓を和らげた、いわゆる炊き出しのために使われていた物で、パネルの情報によると1845~1848年の間、毎日800人の人々にスープが配られていたそうです。

飢饉時代には、インド、オーストラリア、中国、北アメリカ、南アメリカなどの遠い国々から食料、お金、衣類などの寄付があり、この大きな鍋もその寄付の一部でした。

飢饉の鍋はアイルランドにいくつか残されているようですが、僕は今回初めて見ました。

 

ドネゴール鉄道センター

かつてドネゴール州の住民の足として重要な役割を果たしていた鉄道に、「ドネゴール鉄道」「ロンドンデリー&ラフ・スウィリー鉄道」の2つの会社がありました。

現在はどちらの鉄道も廃線になりドネゴール州には鉄道は走っていませんが、1959年に閉鎖されたドネゴールの駅を利用した小さな鉄道博物館が町に建てられていて、館内には鉄道模型、鉄道に関する資料が展示されています。

 

スリーヴ・リーグ

ドネゴール州の断崖

引用元:「Wikipedia(Slieve League)」

こちらはドネゴールの町から車で西に1時間ほど走った場所にある、アイルランド1を越え、ヨーロッパで1番の高さを誇る断崖です。

その高さはなんと600メートル!!モハーの断崖が200メートルなので…もう高過ぎです…

ただ今回僕は連日の雨のせいで行けなかったんです↓↓行きたかったぁ~もうちょっと粘れば良かったかなぁ~、アイルランドにいる間にもう1度リベンジしたい場所です。

●場所 スリーヴ・リーグ

 

ドネゴールのおすすめホステル

ドネゴールのホステル

Donegal Town Independent hostel

ドミトリー1泊17ユーロ~で朝食なし、ちょっと高めですが、家族で経営されているとてもアットホームな雰囲気のホステルです。

キッチン、リビング共にそこまで広くはないですが、ホステルの部屋数を考えれば十分な広さです。

各部屋は清潔感があり、このホステルで働くお母さんは何かあることに話しかけてくれて、とても気さくで楽しい方でした。

●予約 Donegal Town Independent hostel

 

最後に

ドネゴールのパブ

今回はドネゴール観光スポットとホステルについて書きました。

観光スポットに関して言うと、場所によっては少し暗い感じになってしまいましたが、町自体は可愛らしいお店が多く、アイリッシュ・パブや宿も結構な数があったので訪れる価値のある魅力的な町でした。

またドネゴール州には先程紹介したスリーヴ・リーグや自然公園(グレンベアー国立公園)などの絶景が満載です。

比較的大きいドネゴールの町を拠点にドネゴール州の観光スポットを回るのもいいかも知れません。

そして、個人的な話しですが今回は二人での行動になり、いつもとは違った雰囲気で観光できたことがとても嬉しかったです。

もちろん一人での観光は自分のペースで動けて楽だし疲れないのでいいんですが、キレイな景色を見て「キレイだね」って言えたり、しんどい時に「しんどいね」って誰かに言えることはとても幸せなことなんだなと改めて感じました。

 

※ドネゴール州の秘境と呼ばれている自然公園「グレンベアー国立公園」については 孤独にたたずむ城とドネゴールの大自然「グレンベアー国立公園」を観光 で詳しく書きました。

グレンベアー城

孤独にたたずむ城とドネゴールの大自然「グレンベアー国立公園」を観光

2017年11月16日

 

 

最後までありがとうございました。

それでは、また!!

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ABOUTこの記事をかいた人

高校を卒業してから、そのまま就職。12年間働いていたが、そんな自分の人生に疑問を覚え、30歳前にして何の計画もないまま会社を辞め、海外に行くことを決意。理想の人生を強烈にもがきながらも追い求めています。そんな僕が、このブログを通して海外の魅力、文化、役に立つ情報など発信したいと思います。