アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~

昔のニューヨーク

アメリカ、またその他の国々に多くの移民を出した国があります。

それがヨーロッパ最果ての国”アイルランド”です。

19世紀半ば、この国からは大量の移民が流出。そして、そのほとんどがアメリカを目指しました。

 

かつてアイルランド島全体(北アイルランドを含む)には800万人以上の人々が暮らしていましたが、1911年には、その人口は約450万人にまで減少。

2017年に行なわれた調査では、アイルランド島全体の人口は約665万人にまで回復し毎年微増傾向ではありますが、それでもかつて暮らしていた人口にはまだまだ届いていないんです。

 

なぜ、自然豊かなこの国から総人口の約半分がいなくなってしまったのか…

なぜ、彼らは自分の国を捨て、他の国々に移る必要があったのか…

必死の思いでたどりついた新天地で彼らを待っていたのは…

 

この記事ではそんな疑問を含んだアイルランドの人口減少の理由、そして移民について詳しく、わかりやすく書いてみようと思います。

 

 

アイルランドから大量の移民が出た2つの大きな理由

ヨーロッパの地図

アイルランドから多くの移民が出た理由は、大きく分けて2つあります。

それが、イギリス支配による宗教的迫害”と、ジャガイモが疫病によって枯死したことで起きた食糧難ジャガイモ飢饉(ききん)”です。

 

イギリス支配による宗教的迫害とは

ケルト十字

宗教的迫害とは、ある宗教を信仰することによって受ける差別のことで、無理やり信仰している宗教を変えさせる”強制改宗”や、ひどいものには”虐殺”なども含まれます。

イギリスがアイルランドの政治に介入し始めたのは1160年代、アイルランド国内で各地方の王たちが行なっていた抗争の最中、1人の王が当時のイギリス王(ヘンリー2世)に助けを求めたことが始まりです。

このことをキッカケにイギリス王国はアイルランド国内で領土を広げていきますが、もともとこの土地に住むアイルランド領主たちによる抵抗、また年月が経つことによりイギリス植民者と地元の人々との融合が進み、イギリス王国の勢いは徐々に失われ、その領土も縮小していきます。

次に大きな動きがあったのは1500年頃、その時代のイギリス王(ヘンリー7世、8世)によって、これまでイギリスがアイルランドに行なっていた政策が一転します。

その政策とはケルトの文化や習慣を否定し、イギリスで始めた宗教改革をアイルランドにも強要、”アイルランド島全体をイギリスにする”というものでした。

そのような政策をとった理由は、イギリスとヨーロッパ諸国の関係が時代と共に変化し、アイルランドがイギリスにとって戦略的な重要性を帯びるようになったからでした。

もちろんこの政策に反対するアイルランド人たちは抵抗しますが、イギリスの勢力には及ばず、アイルランド島北部(アルスター地方)を本拠地としていたアイルランド人領主連合は鎮圧され、その土地を明け渡すことになりました。

その後この地域にはイギリス(イングランドやスコットランド)から多くのプロテスタント教徒が移住してくるようになります。

現在もですが、当時のアイルランド人の大半はカトリック教徒です。

この土地こそが、現在イギリスの一部である”北アイルランド”という国であり、これらの歴史が今も続く”北アイルランド問題”の起源になります。

 

※北アイルランド問題、北アイルランド紛争、また現在の北アイルランドについては、北アイルランド観光するなら絶対知っておきたい重要な歴史で詳しく書きました。

北アイルランドの壁画

北アイルランド観光するなら絶対知っておきたい重要な歴史

2017年11月21日

 

※北アイルランド紛争の爪痕が多く残る町として有名な”デリー””ベルファスト”については、ロンドンデリーに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット14選 と ベルファストに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット16選 で詳しく書きました。

ジョージ・ベスト

ベルファストに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット16選

2018年1月11日
ロンドンデリーの壁画

ロンドンデリーに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット14選

2017年11月27日

 

カトリック信仰を制限され、土地や財産も奪われたアルスター地方のアイルランド人たちは、奪われた土地を取り戻すため1641年にアルスター全域を巻き込んだ反乱(アルスター反乱)を起こし、数千にも及ぶイギリス系プロテスタント移入者を殺害しました。

この反乱でアイルランド(カトリック側)とイギリス(プロテスタント側)は数年にわたり衝突を繰り返しましたが、1649年にイギリスの政治家”クロムウェル”が、12000人の軍隊と共にアイルランドに押し寄せ、アイルランド人から多くの土地を没収、またカトリックの教会や修道院を手当たり次第に破壊し、大量のアイルランド人を虐殺しました。

アイルランドを観光すると、クロムウェル軍に破壊されたカトリック教会や修道院跡が今でも多く見られます。

これにより、アイルランドは事実上イギリスの植民地となり、国土のうち3分の2をイギリス人が所有、その土地でアイルランド人たちは農業を営むも、その収穫のほとんどは地主であるイギリス人に取られていたため、貧しい生活を余儀なくされました。

 

ジャガイモ飢饉とは

ジャガイモ

ジャガイモ飢饉とは、1845~1849年の間にアイルランドを襲ったジャガイモの疫病による食糧難です。

イギリスに支配されて以降、何百万ものアイルランド人が貧しい生活を送っていたため、経済は発展することなく、国民のほとんどが農業を営んでいました。

農民はイギリスに輸出するための作物と、地主(ほとんどはスコットランド人やイングランド人)に支払う土地代に追われながらも、自分たちの食料を確保するため、栽培が容易で生産性の高いジャガイモを栽培していました。

そして、農民が完全にジャガイモに依存する生活を送っていた時に起きたのがジャガイモの疫病(胴枯れ病)です。

胴枯れ病は畑から別の畑へと移って、たちまちアイルランド全土に広がり、その後このジャガイモの疫病は数年間続きました。

それにより、みるみる食糧難に陥るアイルランドでしたが、イギリスはそれでもアイルランドからの食料輸出を止めませんでした。

その結果、「餓死者が出ているにも関わらず食料がアイルランドから輸出される」という状態が続き、餓死、またそれと重なるように伝染病(コレラ、赤痢、チフスなど)も流行し、100万人以上のアイルランド人が命を落としました。

 

アイルランドから海外へ脱出

ジャガイモ飢饉の様子

イギリスによる支配、それに加えジャガイモの疫病や伝染病が広がり、多くのアイルランド人にとって国外脱出が唯一の生き残る手段になりました。

1700年以降、アイルランドから他国へと移住する人は少なからずいましたが、ジャガイモ飢饉が始まった1845年からその数は爆発的に増え、その多くが当時カリフォルニアで金鉱が見つかったことで盛り上がっていた(通称”ゴールドラッシュ”)アメリカへと渡りました。

ジャガイモ飢饉からその後にかけて約250万人(当時のアイルランド全人口の30%)のアイルランド人が祖国を離れ、アメリカ、ヨーロッパのカトリックの国、イギリス(特にイングランドのリヴァプールやスコットランドのグラスゴー)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどへと渡りました。

 

危険な航海

航海

当時、アイルランドから他国へ渡る唯一の手段は船でしたが、その多くが老朽化し、危険な航海を余儀なくされていました。

しかし、飢えや病気で苦しむ多くのアイルランド人にとっては、”この危険な船に乗り込んででも国外へ出る”ことが唯一残された生きる手段でした。

 

船内の劣悪な環境

乗り込む船の環境は劣悪で、定員をはるかに越える乗員に、渡航者たちは狭い船内に詰め込まれ、吐しゃ物や汚物のにおいに耐えながら何週間もかけ海を渡ります。

また船に乗り込む住民の大半は、乗船前から体が弱りきっていて、すでに栄養不足。そのうえ渡航者たちが持ち込む赤痢やコレラといった病気が蔓延する船内。

こういった環境で航海する船に乗り込んだ渡航者の死亡率は40%に達していたそうです。

そのため人々は当時、このような船のことを「棺桶船」と呼んでいました。

 

アメリカに渡ったアイルランド人

自由の女神

アメリカは当時から言わずと知れたキリスト教の国であり、プロテスタントの比率が高いことが「あとからアメリカに来たカトリックのよそ者」に対する嫌悪感を生みました。

そのため、祖国を捨て必死の思いでアメリカにやってきたアイルランド人を待っていたのは「カトリックのアイルランド人」に対する差別でした。

アメリカに到着直後の港で石を投げられ、求人広告には「No Irish need apply(アイルランド系はお断り)」の文字。そして、アイルランド人の利用を拒む店も存在しました。

そんな環境の中で、カトリックのアイルランド人たちはまともな仕事に就けるはずもなく、その多くが危険で雇用状態が安定しない職種に就くことしかできなかったため、マフィアやギャングといった道に進む者も少なくありませんでした。

映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」では、アイルランド移民が直面した偏見や苦難、生きる為にギャングになりアメリカ生まれの「ネイティブ・アメリカンズ」と戦う彼らの姿がリアルに描かれています。

また3食付きの戦争の志願兵は彼らにとって最高の仕事であったため、多くのアイルランド移民達がアメリカの国旗を背負い戦争に行き、帰らぬ人となりました。

 

※アイルランド移民250万人がアメリカに行くために集まったアイルランドの港町、そして、ニューヨークのエリス島(移民局)経由で初めてアメリカに移民として渡った当時14歳の少女”アニー・ムーア”については タイタニックが最後に訪れた港町「コーヴ」のおすすめ観光スポット5選 で詳しく書きました。

コーヴの町並み

タイタニックが最後に訪れた港町「コーヴ」のおすすめ観光スポット5選

2018年3月19日

 

徐々に変わるアメリカのアイルランド人たちの環境

ジョン・F・ケネディ

第35第アメリカ合衆国大統領”ジョン・F・ケネディ”(カトリック教徒のアイルランド系アメリカ人)

1850年代、ニューヨーク市の人口の5分の1がアイルランド生まれの市民になり、選挙権を持った彼らはアメリカの政治に影響を与え始めました。

カトリックのアイルランド人たちは民主党を支持し、民主党はその支持(=票)を得ることで選挙で勝利を重ねます。

また彼らは労働組合を作り働く環境を徐々に改善、それと比例するように彼らが信仰するカトリック教もアメリカ各地で拡大していきました。

ゆっくり、ですが確実に変わっていくアメリカのアイルランド人たち。

そして1960年代、カトリックのアイルランド人たちが待ちに待った出来事が起こります。それが、”ジョン・F・ケネディ大統領”の誕生です。

ジョン・F・ケネディは、アメリカ合衆国大統領で初のカトリック教徒でアイルランド系アメリカ人になります。

アイルランド人の血を引くカトリック教徒の彼が、アメリカ国民に選ばれ大統領になったことは、カトリックのアイルランド人がアメリカで認められた大きな出来事でした。

これによりカトリックのアイルランド人に対する差別が完全になくなった、というわけではありませんでしたが、アメリカにおいて彼らの地位は着実に上昇していきました。

 

世界にいるアイルランド系と呼ばれる人々

パレードの様子

ニューヨーク市、警察官や消防士が多く参加するアイルランド移民のパレード「セントパトリックデー」の様子

現在、世界にはアイルランド系(アイルランド人の血を引く)の人々が約7000万人いると言われ、そのうちの4000万人はアメリカで暮らしています。

つまり、アメリカ人の6人に1人はアイルランド系ということになります。

「カトリックのアイルランド人」は、長い間アメリカにおいて「差別」「偏見」の対象とされていましたが、それは昔の話し、現在ではそのようなことは一切ないようです。

そればかりか、アメリカの警察官、消防士、軍人などの職業にはアイルランド系の人々が就いている比率が高いんです。

その大きな理由は移民の時代、他国の移民たちに比べてアイルランド移民たちはアメリカに遅れてやって来たため、危険で命がけの仕事にしか就けなかったという歴史的背景があったから。

また、アメリカに渡った各国の移民の中でも、特にその数が多かったアイルランド移民たちは時の政治家と組み、選挙で勝利させた見返りとして他の移民たちよりも優先して警察官や消防士といった公務員職を取りはからってもらった…という歴史もあります。

そして、その職業は伝統的に子へと受け継がれ、アイルランド人の血を引いたアメリカ人「アイルランド系アメリカ人(アイリッシュ・アメリカン)」として彼らは現在でも活躍しています。

警察官や消防士の彼らが活躍する映画も多く、有名どころで言うと「ダイ・ハード」の警察官「ジョン・マクレーン」や、「バックドラフト」主演の消防士の兄弟もアイルランド系アメリカ人になります。

 

アイルランドの文化や習慣

音楽祭りの風景

古代ケルト民族の末裔(まつえい)であるアイルランド人。彼らが持つ独特の習慣や文化は、移民という形でアメリカを含め多くの国々へと広がりました。

アイルランド伝統音楽、アイリッシュダンス、お酒(ギネスビールなど)、アイリッシュパブ、町が緑に染まるアイルランド移民の祭典「セント・パトリック・デー」やハロウィンまで。

彼らは新天地でも、自分たちがアイルランド人であること、そしてその伝統や文化を捨てることはありませんでした。

 

※アイルランドの伝統音楽、また世界で活躍するアイルランド人の血を引く2世3世のミュージシャンについては アイルランドの音楽について、僕なりに語ってみたいと思います。で詳しく書きました。

ザ・ビートルズ

アイルランドの音楽について、僕なりに語ってみたいと思います。

2017年10月23日

 

※アイルランドに起源がある「ハロウィン」、そしてその歴史については ハロウィンの起源はアイルランドにあり~古代ケルト人の儀式が世界へ~で詳しく書きました。

ハロウィンの様子

ハロウィンの起源はアイルランドにあり~古代ケルト人の儀式が世界へ~

2018年12月22日

 

最後に

アイルランドの風景

ザ・ビートルズ、オアシス、エド・シーラン、マライヤ・キャリー、カート・コバーン(ニルヴァーナ)など、アイルランド人を祖先に持つ有名人をあげると切りがなく、北海道ほどの小さな島国であるアイルランドは、移民という形で世界に大きな影響を与えました。

665万人が暮らす本国を、はるかに越えるアイルランド系の人々が世界に暮らしているという事実。

しかし、それは悲しい歴史とたくさんの犠牲の上に成り立ったもので、当時のアイルランド移民たちが海を越え、新天地での逆境と戦いながらもたくましく生きてきたことが、今のアイルランド系と呼ばれる人々につながっているんだと思います。

 

最後までありがとうございました。

それでは、また!!

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ABOUTこの記事をかいた人

高校を卒業してから、そのまま就職。12年間働いていたが、そんな自分の人生に疑問を覚え、30歳前にして何の計画もないまま会社を辞め、海外に行くことを決意。理想の人生を強烈にもがきながらも追い求めています。そんな僕が、このブログを通して海外の魅力、文化、役に立つ情報など発信したいと思います。