北アイルランド観光するなら絶対知っておきたい重要な歴史

北アイルランドの壁画

今回はかなり楽しみにしていた「北アイルランド」への入国、もっと格好良く言えば線と線をまたぐ国境越えですね!!

でもその前に…日本では北アイルランドと聞くとどういうイメージを持つんでしょうか??

まぁ日本人のアイルランド知名度を考えると、「イメージもなにもまず、北アイルランドってどこ…??」って方が多いかも知れませんが、もし知っている方がいるなら、やっぱり「治安が悪い」「危険な場所」「テロ」といったマイナスなイメージがあるかも知れません。

実際に僕もアイルランドに旅立つ前、数人の友人から「北アイルランドは大丈夫なの?」「危険じゃないの?」なんて言われていました。

なぜそんなイメージがあるのか…その原因はやはり”北アイルランド紛争”による影響が大きいかと思います。

北アイルランドを観光すると、必ずと言っていいほどこの紛争時代の爪痕や痕跡に触れることになります。

ということで、今回の記事では北アイルランドに来るなら必ず知っておきたい北アイルランド紛争について書いていきたいと思います。

少々かたい話しになりますが、最後まで呼んで頂ければ嬉しいです。

 

 

 

北アイルランド紛争に関わった人々

北アイルランドの地図

赤い部分が北アイルランドです

 

カトリック系住民とプロテスタント系住民

アイルランド国民のほとんどはカトリック系住民にあたりますが、アイルランドがイギリスの統治下だった頃、北アルランド領の住民は3分の1がカトリック系住民、残りの3分の2がプロテスタント系住民でした。

プロテスタント系住民とは、アイルランドがイギリスの植民地だったころ、その支配に共なってイギリスからアイルランドに住み着いた住人のことを指し、分かりやすく言えば「昔から住んでいたアイルランド人=カトリック系住民」「イギリスからアイルランドに住み着いた住人=プロテスタント系住民」ということになります。

 

※イギリスから多くのプロテスタント系住民がアイルランド(特に北アイルランド)に住み着いた理由、「北アイルランド」という国が出来たその歴史については アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~ で詳しく書きました。

昔のニューヨーク

アイルランドからアメリカへ~アイルランド移民の歴史について~

2019年3月23日

 

 

アイルランド共和軍「IRA(イラ)」

「IRA」という組織の起源は19世紀、アイルランドがイギリスの植民地だった頃に生まれたアイルランド義勇軍にまで遡ります。

そして、「IRA」「アイルランド義勇軍」といった団体は、北アイルランドをイギリスの手から取り返し、「アイルランド」という1つの国に統一することを目的として結成された組織です。

IRAは結成から現在まで何度か分裂を繰り返したため、”IRA”と名乗る団体は1つではなく、いくつか存在します。

IRAは、国内はもちろんイギリスで政府関係者を狙った爆破テロ、一般市民を狙った無差別テロなど、数多くのテロ行為を行ったテロリストとしての顔を持ちます。

やっていることは間違いなく許される行為ではありませんが、IRAという組織が生まれた背景には、イギリスがこれまでの歴史上アイルランドに対して行ってきた数々の行い(アイルランド人に対する差別や抑圧)が大きく影響していると言えます。

 

アルスター義勇軍

1919~1921年にかけて行われたアイルランド独立戦争で、アイルランドはイギリスからの独立に成功。

しかし、「プロテスタント系住民が多い」という理由から北アイルランドはイギリス統治下に残ることになり、北アイルランドのカトリック系住民たちは、その結果に納得出来ないためイギリスからの解放運動を続けます。

IRAの存在やカトリック系住民が行なう解放運動などで、プロテスタント系住民の中では不満や反感が高まり、そこから生まれたのが北アイルランドのイギリスへの残留を主張する過激派組織「アルスター義勇軍」です。

IRAに対抗するように出来たこの組織でしたが、一般市民を含むカトリック系住民に爆弾テロを行うなど、IRAと同様かなり危険な組織でした。

 

北アイルランド紛争の始まり

北アイルランド紛争の様子

カトリック系住民とプロテスタント系住民は”北アイルランド”という土地で、互いの権利を主張し、デモや抗議は枠を越え、暴行や破壊といった「暴動」へと発展することがしばしばありました。

各地で起きる暴動を収めるため地元警察(ほとんどがプロテスタント系住民)が警備にあたり、それでも収集がつかない場所ではイギリス軍が派遣されそのまま警備につくようになります。

またIRAはアイルランド国内問わず、イギリス本土、その他ヨーロッパの国々でもイギリス関係者を狙ったテロ行為を頻繁に行うようになり、アルスター義勇軍はIRAに対抗するようにカトリック系住民に対するテロ行為を開始、自体はますます深刻化していきます。

何年も続く紛争の中には、1972年のロンドンデリーで、イギリス軍がデモ行進中のカトリック系住民を銃撃し、13名の非武装市民を射殺した「血の日曜日事件」、そしてその半年後、ベルファストで9人の死者と130名の負傷者を出したIRAによる爆破テロ「血の金曜日事件」などが含まれます。

その他、紛争中には各地でたくさんの事件が発生し、約3500人(一般市民含む)が亡くなりました。

 

北アイルランド紛争の終息

北アイルランドの壁画

まさに泥沼状態の紛争でしたが、この状況を変えるために新たな運動が広がります。

それは子供たちの犠牲者をこれ以上出さないためにプロテスタント系住民とカトリック系住民の女性達が協力して行った平和デモでした。

このデモから平和への動きが徐々に広がりを見せ、1977年にはこの運動の中心となった2人の女性にノーベル平和賞が贈られます。

またイギリス政府はこれまで野放しにしていたプロテスタント系住民による過激派組織を取り締まり、1994年にはIRAがこれまでの犠牲者に対して謝罪を行い、イギリスとの協議の場で停戦宣言を発表しました。

これらの動きにより状況は少しずつ改善、徐々に経済も安定し、現在では紛争があったとは思えないほど平穏な国になっています。

 

現在の北アイルランド

北アイルランドの風景

プロテスタント系住民の地区(ロンドンデリー)

紛争が収まった現在でも2つの住民は分かれて暮らしていて、カトリック、プロテスタント系住民それぞれの地区では分かりやすいように国旗を掲げたり国旗カラーが地面に塗られていたりします。

両者が混ざって暮らす場所もあるようです

紛争が起きた経緯について考えた時、「よそ者のプロテスタント系住民が自分の国に帰れば…」なんて思ったりしますが、彼らがアイルランドに住み着いたのは今から400年も前の話しになります。

「北アイルランド」という国はプロテスタント系住民にとっても長年暮らしてきた故郷で、今更イギリスに戻ったとしても、そこは彼らにとってもはや”自分の国”ではありません。

北アイルランドがアイルランドに戻れば、今度はプロテスタント系住民が少数派になり住みづらい環境が出来てしまう、それを恐れた彼らは精一杯自分達の権利を主張し、北アイルランドという自分たちの居場所を守ったんですね。

お互いが干渉しないように分かれて暮らす、これが今の両者にとってこれ以上争わないための精一杯の完結策なのかも知れません。

 

最後に

北アイルランドの風景

ロンドンデリーの風景

暗い話しから、ややこしい話しまで色々しましたが、この紛争について少しでも知っていれば北アイルランド観光がとても意味のあるものになると思います。

あと、念のために言っておきますが、北アイルランドは南のアイルランド同様自然豊かでとても美しい土地です!!

特に北の海外沿いには有名な「ジャイアンツコーズウェイ」を始め、キレイな景色がたくさん詰まっています。

アイルランドに来たなら、北アイルランドの歴史と自然にぜひ触れてみて下さい!!

 

※紛争の痕跡が多く残る町、北アイルランドの「ロンドンデリー」については ロンドンデリーに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット14選 で詳しく書きました。

ロンドンデリーの壁画

ロンドンデリーに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット14選

2017年11月27日

 

※同じく紛争の痕跡が残る町、北アイルランドの「ベルファスト」については ベルファストに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット16選 で詳しく書きました。

ジョージ・ベスト

ベルファストに来たなら必ず行くべきおすすめ観光スポット16選

2018年1月11日

 

 

最後までありがとうございました。

それでは、また!!

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ABOUTこの記事をかいた人

高校を卒業してから、そのまま就職。12年間働いていたが、そんな自分の人生に疑問を覚え、30歳前にして何の計画もないまま会社を辞め、海外に行くことを決意。理想の人生を強烈にもがきながらも追い求めています。そんな僕が、このブログを通して海外の魅力、文化、役に立つ情報など発信したいと思います。